暇鳥風月

暇鳥風月

ざれごとからたわごとまで

便所の落書き③

こんにちは、最近の趣味はやけ食いです。でもなぜか痩せていってます。人体ってふしぎですね。この前私の顔見た母親は心配してました。ちゃんと食ってんのに心配してもらえるの最高すぎる。

 

やけ食いはバイト終わりのイベントでして、最近のお気に入りはペヤング超大盛り+αか吉野家の超特盛スタミナなんちゃら丼です。だいたいバイトが終わって家まで我慢できそうなら前者、無理そうなら後者を食べてしまいます。これ食えばめちゃくちゃスムーズに眠気が襲ってきてくれるので最近睡眠が浅くなりがちな自分としてはとても助かってます。っぱ信じるものはカロリーよ

 

あとみんな吉野家のスタミナなんたらかんたら丼食べて欲しい。あまりにもバカすぎるから。全国チェーンの出す料理にしてはいくらなんでもバカだから。

 

さて、今回も今回とて更新が遠のきまくってリハビリ感覚で書いてるんですけど、もはやリハビリ目的でしか更新してないですよねこの人間。いやね?書いてるんですよ?本当に書いてるんですよ。まあほとんどが読むに堪えない内容だからボツになってるという己の技量の問題なんですけど

でもそれだけじゃなくて、例えばバイト先の人間について書いた記事とかあって、個人的にはそこそこ面白いかもって出来なんですけど、これが万が一バレた暁にはどうなるかわかんないんですよ。結果私の身体inコンクリート東京湾に沈められてとかイヤですもん。日常的に死にてえ死にてえ言ってても結局は死にたくないですからね

まあそんな危ないことにはならないとは思いますが、バレなくても自分の常識がどんどんわからなくなってるという問題があって、「バイト先の人間が店舗型風俗にホットプレートと焼き肉の具材持参して出禁食らった」みたいなエピソードがどれくらいの面白さなのか最近わからなくなってるんですよね。いや流石にこれは面白いよな?とはいえ面白エピソード披露したつもりになってドン引きされたときの恥ずかしさったらないんですよ。だから公開に踏み切れません。

あとは単純にバイト先社不と犯罪者の巣窟すぎてなんかいろいろと私自身いらない心配もされそうだとか、とにかくいろんな心配が先行した結果の更新停滞というわけですね。月に何度も更新してたあの頃が眩しいや…

 

 

 

ってなわけで本題

 

 

https://open.spotify.com/playlist/6NCZn2SaK1td5kextnWmlL?si=npX1AHEWSo6hAJuByvr8ow

(布教用プレイリスト)

 

最近SUPER BUTTER DOGにハマってまして、というのも曲の“夏”感がちょうどいいんですよ。「夏だ!テンション上げてこうぜ!」っていう感じでもなく、かといって夏だから爽やかになるような曲ってわけでもなく、夏の気だるいイヤになるような感じの暑苦しさだとかじっとしてられないエネルギーが爆発してる感じとかがちょうどよくてずっと聴いてます。

ここ数年は冷房つけないとやってられない暑さですけど、バタ犬聴くときは扇風機だけかけるぐらいがよくて、うだうだとした夏を肯定してくる感じがあんまり他の夏を売り出す曲にはなくていいんですよね。爽やかな曲聴いて暑さ吹っ飛ぶわけねえだろ!みたいな一種の清々しさを勝手に感じてます。

 

 

あとはなんですかね、正直なところこのプレイリストは「SUPER BUTTER DOGいいよね…」って言いたいだけのやつなので、他の曲は完全にノリで決めました。なので夏っぽさは曲によってあったりなかったりです。

 

そういやこのところUndertaleの曲を聴き返してるですけど、やっぱりよいものですね。曲でキャラクター同士の関係性とかがモロにわかるの楽しい〜!ってなります。

 

あとは…うーんないな。特にないや。あ、裏切りの夕焼けはちょっと前にデュラララ!!見たのでそれ記念で追加してます。何の気なしに見始めたら真っ当に好きになってしまった。みんなも見ろ。

 

 

あとはないかな、うん。あ、最近やけ食いしてるせいかうんこがめっちゃ出ます。おもろいぐらい出る。あとくさいです。もともと野菜めっちゃ食うからうんこもラベンダーの香りだったのになんか気づいたらうんこみたいな匂いになってました。真っ当なうんこの香り。なんだよ真っ当なうんこって

 

 

 

 

 

 

書きたいことなくなったのでおしまい

夢がキモい

私はどちらかというと寝てる時に夢を見ている側の人間だ。……と思う。

 

「人よりも夢を見る頻度が高い」ってよりも「見た夢を憶えるようにする習慣が染みついている」ってのが実際のところなんだけれど。脳にある”一時的な記憶を保存するメモリ”が、私の場合は人よりも夢の内容が占めているみたいな、そんなもんだと思う。見ないときは本当に見ないしね。

 

 

そんな逐一夢を外部媒体に保存する人間の私だが、起きて覚えている夢を見たとしても、それらををすべて記憶するわけじゃない。

「なにか突飛な展開に見舞われた夢」だとか「めちゃめちゃ怖い夢」、あるいは「現実サイドで体験した出来事が意外な形で反映されている夢」みたいな。要は””面白い夢””であれば私は積極的に記録している。最近だと学科の中国人留学生とジュ―Cグレープを食べている夢を記録している。何その平和な夢

 

これは裏を返せば、特に面白くもないただの夢は記録していないということになる。まあ現状夢の記録はほとんど創作のネタになればいいなって程度のモチベで続けているので、そんな雑魚夢にかまう暇もないのである。

 

前置きが長くなったけど、今回はそんな雑魚夢の話。

 

 

 

「釣り」の夢をちょくちょく見ることがある。

釣り糸を垂らして魚釣りをする、という何の変哲もない夢である。場所は知らない船の上だったり、地元の汚え港だったり、あとは夢の街(説明するのが非常に面倒だが、私には夢の中でのみ存在し、複数の夢でこの街が度々舞台となるなど一定の連続性を保ったどこにも該当することのない街のような空間がある。この街の夢は明晰夢ではないけど微妙に身動きが取れる)にある池など、とにかく様々だ。内容もただ釣りをするという話で、どうぶつの森並みに釣果が出ること以外はたいした特徴もない夢なのだ。

 

今日見た夢も釣りの夢だった。正直釣りなんて人生で数回しかしたことがない人間なので、なんでこんな定番化しているのかは疑問だけど、湖みたいな場所でアジみたいな魚を釣るだけの内容だ、と思っていた。

 

夢から目が覚め、ふと夢の光景を頭に思い浮かべたとき、今まで見ていた釣りの夢が正常でないことに気が付いた。ゆめゆめゆめゆめうるせーなこの文章。

 

 

というのも、どういうわけか私の「釣りの夢」は、魚を地上に引き上げる際に、リールを回して吊り上げるのではなく、自分の手の指を近づいた魚に嚙みつかせることで魚をゲットしていた。そして、その魚はバケツなどに移すのではなく、肩やお腹、太ももなどに嚙みつかせることで保管しており、全身を釣った魚たちにかじられながら魚釣りを続行するのだ。

 

流石にキモい。

 

いやぁ、朝起きてちょっと震えたよね。おいおい自分めちゃくちゃ狂い夢見てるじゃねえかって。なんなら毎回指に引っ掛けて釣ってるのも鮮明に思い出しちゃって、この狂いがシリーズ化してるのおかしいし、それを雑魚夢判定してる自分がやばいなって、めっちゃトイレ行きたいのもあって震えました。というか9割9分尿意の震えですけどね。うん、文章ってやつは脚色が必要なんだ。許しておくれ

 

それだけの記事です。オチはありません。さようなら。

黒歴史の上書き保存

不定期更新+加筆修正あり

 

 

 

 

「厭」


目次後の白きに潜む身なものでかく余白なき世の生きづらし

 

パチパチと決別の音を繰り返す 淋しくはない淋しくはない(題詠『爪』)

 

半分も遮る雲が占めるのにそれは晴れだと言われる痛苦

 

フラッシュを断続的に向けられて罪を数えるトンネルの中

 

旅します。食べにいきます。家にいます。命令形の社会の中で

 

じゃんけんに負けて始まる二つ目の電柱までの階級社会

 

小学生男児の頃に見えていた秒の目盛りは粗くなりゆく

 

かなしみに気づいたように大人ほど燻んだ色の傘をひらいて

 

 

 

「閑」

 

果物を牛を想わず飲みつくすいちごみるくという味のまま

 

悲しみは減らないですね ドライバーよ畦に転がるコーヒーたちよ

 

独り身の学習机は母からのバレンタインのチロルが咲けり

 

くすくすと稚児は木魚に笑ひをり悟りつつある祖父の帰らぬ

 

夢を見る夢に破れる美しさありて椿はかがやくばかり

 

 

 

「妄」


でたらめの世界で僕はチャーハンを10秒多く温めている

 

なんとなく負の能力を持ちたくて蟹アレルギーだった中1

 

ビーフorチキン〉の効果:坊さんとベジタリアンと諸々が死ぬ

 

溶けきっていたはずだった2つ目のガムシロップが沈みゆく昼

 

やわらかいあかにあなたがよぎるから秋のドウダンツツジは見ない

 

日常をぱらん、ぽろんと破壊する テレビ上部の白いテロップ

 

ほんとうにおそろしいのはクーラーでらくにすごせてしまうことでは

 

 

 

 

「端」

 

不健康な人間どもが起きている時間に2合米を研ぐ母

 

新聞の音も朝陽も置き去って母はだし巻き玉子を畳む

 

電柱がこぞって空を切り分ける夕方という小さな事件

 

下校時をはじける声が泡立てば乱反射する川のかがやき

 

好きなひとのはねやはらいの角度まで飲みこんでゆき私の癖字

 

 

 

 

 

 

雑感

半分くらい食関連のワードが入ってて笑いました。

追記

前向きな歌が増えた気がする

 

便所の落書き②

ちょいちょい匂わせていることなんですけど、コロナ禍で短歌を始めました。ただ、始めたって公言するほど上手くもないし、結社に属しているわけでもないし、そもそも文芸に対して理解が深いわけでもないです。文芸を深い深い海とするならば、その端っこの磯場でカニちゃぷちゃぷ戯れてる、そんなところです。じゃあなんで宣言したのって言われましてもですね、弱い犬ほどよく吠えるってもんです、わかってください。

 

なんだかんだでコロナが収束するまでは続けたいなあって思ってます。思ってるんですけど、結局私のことはどうでもよくて、それとは別にちょっと思ってることがあるのでそれについて書こうと思います。はい。短歌は踏み台でした。

 

私自身理系の大学に行ってることもあって、ときどき感じるんですけど、それは文系の学問に対する偏見というか、科学至上主義というか、ちょっと端的にまとめるのが難しいんですけど、そういう感じのやつ。高校にもいませんでした?自分が理系を選んだことに酔ってる理系のやつ。厳密に言うとそれとはちょっと違うんですけど、まあそういう感じのやつです。

まあでも私の学部はマシというか、そもそも学際的なコンセプトで生まれた学科なのでそこまでじゃないんですけど、別の学科とか学部の人とたまーに交流する際に、さっき言ったような人がちらほらいるんですよね。

 

で、そういう人に対してわたしはあまり快い感情を持っていないんですけど、彼らが一概に間違ってるかっていうと必ずしもそうではなくて、やっぱりめちゃくちゃ学問に対して真剣な姿勢を貫こうとしたときに、社会学とかの学問的な不安定さだとかって気になっちゃうわけで、そういう面では理にかなってたりするんです。

 

けどね、拗らせに拗らせたやつっているんですよ。僕が今までに会った人でこんなことを言う人がいました。

 

「文学部って無駄じゃん?」

 

結構過激な発言だったので、マイルドに、ついでにカンクロウ風味に仕立て上げました。人が何を思おうが自由なのですが、これを聞いた時には私は反発的な感情を抱きました。

 

 

でも、考えれば考えるほど、文芸って無駄なんですよね。ごめんなさい、喧嘩売ってる訳ではないんです。でも、極論で言うと無駄なんです。

 

 

先の大戦の、学徒出陣において真っ先に切り捨てられたのは文系の人間でした。なんというか、話の転換と切り出しが果てしなく雑ですが、この歴史的事実からわかるのは、当時「理系と言われるようなものがより有益」という結論が下されたことがある、ということです。要するに文系ってやつはいらない子扱いされてしまった過去があるんですよね。

 

 

 

でも、「無駄だから必要ない」って考え、正論のように見えてすごく危ないと思うんです。

 

 

無駄がないとどうなるか、COVID-19が強烈に教えてくれたと思います。個人の体験ですけど、私は昨年、通学時間だとか人付き合いだとか、そういうしがらみから解放されたのを良いきっかけにしようとして、無駄を切り捨ててやるべきこととやりたいことにストイック(当社比)に打ち込んだ時期が存在しました。しかし結局2ヶ月ほどで燃料切れを起こして、自律神経を狂わせて今に至っています。

短歌を始めたのはちょうど燃料切れを起こしたあたりと一致していました。これは単なる偶然なのかもしれないですけど、私はそうじゃないと思うんです。

 

不要不急を削ぎ落とした結果、大げさですけど生活そのものも削ぎ落とされました。少なくとも私はそう感じました。そこで今までは当たり前のようにあった日常のムダの重要性に気づいたんです。日常のなかで無駄に思える物事って、人体で言うところのH2Oみたいなものなんじゃないかなぁって。それこそ今年は痩せるために水分を摂れずにだんだんと干からびてゆくような、そんな一年だったなぁって。そう思うんです。あ、もちろん不要不急を進んでやれってことじゃないですよ。ただ、無駄って必要だよなあってことを思った、それだけです。

 

 

勢いで結論言っちゃいましたが、無駄って必要なんです。無駄だから必要と言うべきでしょうか。

 

 

文芸の、特に詩歌はその中に存在する余白を楽しむものだとなんかで読みました。実際そうだと個人的に思ってますし、なんなら文芸自体が余白そのものなんじゃないかって、この男は、文芸のなんたるかを微塵も知らない磯場ちゃぷちゃぷ戯れ男はですね、思うんですよ。

 

余白ってのは切り捨ててギチギチにできるものです。だから何回でも言いますけど、この余白ってのはやっぱ無駄なんです、これって。でもその無駄に、誰もが救われてるってのもまた事実でしょう?これは覆らないと思います。

 

 

 

だから、ウイルスにゆるく締め付けられた異常事態が去るまでは、この無駄とやらに浸かっていようと思います。

マリモ

 

昔、幼稚園生だった頃にマリモを飼っていた。

 

 

 

もとは兄の友人が北海道旅行で買ってきたお土産で、最初は兄がもらったのだが、これといった使い道もないため、お前にやるよと譲ってくれたのがガラス瓶に入ったマリモのようなものだった。

 

 

このマリモは本物ではない。言うなればレプリカである。というか本物だったら普通に厄介ごとになりかねない。マリモは実在する藻類であるが、天然記念物に属するため、採集などは原則禁止されている。したがって一般人である我々が持つことは許されない。

 

私は、純粋無垢な少年だった。大げさに言い換えるならば、世の中の理というものを知らなさ過ぎた。

 

公園にあるドングリを集めては道路にばらまいて、走ってくる車のタイヤが「ブゥチブチブチチィィィ!!!!」と非日常な音を立てるのを聞いては悦に浸るという遊びにドハマリくらいには善悪の判断もつかない少年だったのだ。こう冷静に思い返してみると、極めて純度の高い悪を纏ったただのクソガキである。

 

とにかく、そんなピュアな男児だった私だから、兄のくれたマリモが作りものなんて事実を知る由もなかったのだ。だからマリモを譲り受けた私は、たいそう大事に育てた。

 

それに、当時私の家庭では金魚を飼っており、水槽には水草もあった。この『マリモ』なるスーモくんの残滓みたいなやつも、水草の仲間なんだろうなと当時の私は考えた。

 

そんな状況で出会ったのだ。繰り返すが、私はマリモを大事に育てた。

 

 

 

好奇心の塊のような当時の私からすれば、マリモなんてまさに恰好の的であったこともあり、私はこのガラス瓶にたゆたう緑の真ん丸にひどく執心した。

 

以降私は、好奇心の赴くままに成長記録を付け始めた。これがまた謎に火が付き、飽き性の私であったがかれこれ3か月ほど続いた。

 

その執着ぶりは相当なもので、ある日は日の当たる場所においたり、日陰に移したり、水を入れ替えたり、温度を測ったり…私が何をしてマリモがどういう様子かを事細かに記録した。

しかし、マリモは変化を見せなかった。時にはマリモのご機嫌を伺うべく対話を図りながら、あーだこーだ工夫しながらも続いた。

 

皮肉な話だが、マリモに大きな変化が見られなかったからこそ、成長観察日記は続いた。こいつが普通の成長を見せてくれれば、「(まあこんなもんだよな)」と成長記録をつけ続けることはなかったはずなのだ。ところが想像通りにいかないものだから、「どうすればマリモが育つのか」とついた好奇の火を消すことができなかった。

 

その間ずっと、私の苦心ぶりを知ってか知らずかマリモは水中を漂うだけだった。当然である。生きてないんだから。

 

 

 

そんな調子の私だったが、ある日、世界の真実を知ってしまう。

 

ドラえもん44巻の中の、「ハワイがやってくる」にてしずかちゃんこと源しずかがこの世の悲しき理を告げたのだ。

 

詳しい話は省くが、話の冒頭にて、しずかちゃんが「阿寒湖のお土産にマリモを買ってきた」と報告した後、出木杉君が「マリモを育てることはとってもダメなこと」というのをマジトーンで説教したのち、しずかちゃんが「マリモのお土産は作り物だから大丈夫だよ~」というのを教えるという一幕がある。

 

 

単なる話の導入、起承転結の『起』である。しかしながら、その時の私の衝撃といったらなかった。

 

あの話を読み終えて、私は泣いた。泣き所が微塵もないあの話で、怒り、悲しみ、無力感、徒労感、虚脱感、そして羞恥心、ありとあらゆる感情が一気に押し寄せてきて、私は涙を流した。

 

あの瞬間、私は〈やるせない〉という感情を覚えた。当時幼稚園生なわけだから、それにしちゃ大きな一歩だったと思う。

 

その日から、私はマリモの成長を記録するのをやめた。話しかけることも、気にかけることも、馬鹿らしくなってやめてしまった。

 

 

 

こうして私とマリモとの二人三脚は、悲惨な幕切れを辿ったのだ。

 

 

 

 

 

 

ただ、勘違いしないでほしい。マリモは作りものだったのではない。あの話を読むまでは、マリモは生きていた。

 

あの二人が、源しずか出木杉英才こそがマリモを殺した張本人なのだ。忘れもしない、あの44巻、あのページで、二人が私のマリモに宿る生命の灯を無情にも吹き消したのだ。

 

正論はなにも、振りかざせばよいというものでもない。現にその正論で私のマリモは消滅した。この世には、しずかちゃんと出木杉に論破されて人知れず心に傷を負った人間だっているのだ。

 

 

 

 

以来、しずちゃん出木杉だけは好きになれないでいる、という話である。なんだこれ。

少女ではないけれども

 誰か、私に少女漫画を教えてほしい。

 

 先日、ある友人と連絡をとった。連絡を取り合うなかで、話題が『読んでいる漫画』になったときに友人に言われてしまったのだ。「少女漫画を読んでないやつは人生の十割損している」と。

 実を言うと、「これしてないやつは人生の〇割損している」系の賞賛はそんなに好きではない。かけがえのない体験は結構だけれど、それをしてない人を一様に見下しないがしろにする高慢さがどうにもだめだからだ。一方をほめちぎるために他方を下げる手法自体もあまり好きではないのもある。

 もちろん相手も本気で言ってないことは重々承知の上だし、この類の主張をされたとて私も本気にするようなこともない。それはわかっているつもりなのだ。ただ、自分は好んで使わないし、この文言が使われたらあまりいい心地がしないのも事実だ。

 ところが、「十割損」とまで言われてしまうと話は変わってくる。十割て。その該当の人間全否定じゃないか。彼のさりげない十割損発言は私からしちゃ「お前はもう死んでいる」と高らかに謳う北斗の拳ケンシロウと何ら変わりない。十割損とはそういうことである。

 

 

 これはもう逆に気になってしまうのが人間の性だろう。それに彼は大学の数少ない友人の一人でもある。要するに、彼とは人間として対等に接したい。だからこそ、私は彼の少女漫画論を素直に聞く羽目になったのだ。

 

 

 

 

 彼が言うことをまとめるとこうだ。「お前は少女漫画を舐めている。少女漫画の細かな恋愛描写、心理の移ろいを学んでない奴は対人関係に苦労するし恋愛も然りだ。感情の読み取りが出来れば文学作品全般がもっと面白くなる」と。

 結構な物言いだし、あたかも「自分は対人関係に優れている」とでも言いたげな口ぶりである。こういうのを豪語と呼ぶんだろうななどと思いつつ、でもお前童貞じゃん、と返したら「やっぱりお前は十割損だよ」と容赦のない一言を浴びせられる始末である。なんというか、非常に不親切かつ理不尽である。

 

 しかし、というべきか。なかなかどうして、不思議と説得力のある論なのだ。確かに私は妹の持っていた少女漫画にどこか鼻を鳴らした態度をとっていたし、私が今持っているドリフターズブラックラグーンといった漫画たちは、〈男の子っぽさ〉を求めていき、〈女の子っぽさ〉を忌避していた結果なのかもしれない。私は普段、他人のおすすめするものを「おすすめされたから」というクソみたいな理由で手を出さない(それが自分がわざわざおすすめを尋ねた場合であっても)人間なのだが、彼の主張を訊いた時は不思議と少女漫画に手を出してみようという気にさせられた。

 それに、少女漫画によって対人関係の改善が図られるのであれば、こちらにとっても悪い話ではない。むしろ願ってもないおいしい話なのだから、彼の言うことを素直に聞いとくべきかもしれない。とはいえ彼は、大事なことなのでもう一度言うが、彼は恋愛経験ゼロの生粋の童貞であるから、恋愛云々の一点においては間違いなく詭弁家に違いないのだが。

 

 

 まあ、本音を言えば前々から読んでみたかった部分はあった。昔Twitterで、「少女漫画は女性にしか書けないし現状男性作家は絶滅してる」というのを目にして以来、「少女漫画には我々男が持ち合わせることができない決定的な『何か』があるんじゃないか」という気がしてならなかった。私には一定の好奇心はあったのだが、周りの男衆に少女漫画に精通している数寄者がいるわけでもなかったため、こうして少女漫画と無縁の人間になっていた。

  そういうかねてからの興味もあったから比較的おとなしく彼の主張も聞いていたし、おすすめを聞き出すつもりでいた。なのに、ちょっとからかったくらいで彼がへそを曲げてしまうものだから、おかげでちっともおすすめの少女漫画を訊くことができやしなかった。なんだろう、少女漫画を対人関係の処方箋のような言い方をする割には彼もなかなかの狭量である。

 

  そういうわけで、読者各位のおすすめ少女漫画があればご教授頂きたい所存である。

 

 

※ちなみに、私の触れた少女漫画はちびまる子ちゃんのだめカンタービレの2つのみです。ベルばらもパタリロ!ちはやふるハチクロも全くわかりません。要するに何をオススメしてもいいってことですね!初心者が読みやすい軽めのやつでも、そうじゃないやつでも、なんでもいいのでおすすめありましたら是非教えてほしいです。結構真剣です。

2020年4月30日

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は普通です。ですが「普通が一番」とも言いますね。よって私が一番です。跪け。崇め奉れ。

 

 早くも4月が終わろうとしているということで、あまりに早すぎてちびりそうになっちゃちゃいます。しかしあっという間でしたね、4月。こちとら曜日感覚バグってきて1週間が5〜6日なんじゃないかと錯覚してしまうほどですよ…。

 この前友達とも話したんですけれど、とりあえず今年いっぱい無かったことにして来年からみんなでもう一度2020年始めたい気分です、割と本気で。

 

 

 

 今回は久しぶりに日記でもつけます。

 

 今朝は9時ぐらいに目覚めましたが、なんとも言えない心地でした。夢を見ていたのですが、その内容が『みんなで遠足みたいに仲良く歩くけど、時間が経つにつれ足が重くなって最終的に石のようになって一歩も動かなくなり、みんなには置いていかれる』というもので、なんだか私の大学生活が暗喩されているようでとても嫌でした。この夢を見るのがここ最近で3回目なことも妙に真実味があってうんざりです。

 

 そんなこんなで起きてからは昨晩のラジオを聴きながらいろいろするうちに11時くらいになったので朝昼兼用のご飯を食べました。今日はもともと家賃の振込をしなきゃいけない日だったので、ご飯済ましたら外に出ようと思っていたのですが、惰性に流されてTVerで相席食堂を見てしまいました。すると、その中で千鳥の大悟が「青空嫌いになったら人間終わりど」という一言を吐いたので「(こりゃいけない)」と思い急ぎ支度をしました。危うく人間終わるところでした。ありがとう大悟。

 

 外に出てみると新緑の季節。草木の営みをモロに感じ取れるのでこの季節は最高ですね。コロナさえなければなぁ!

 今住んでいるところはトチノキユリノキケヤキハクモクレンなどなど、街路樹のバリエーションが豊富なので個人的にはなかなかの好立地です。おかげでずっと草木の方をキョロキョロしながら練り歩く変質者ムーブをかましていました。

 

 

 やること済ませた後に買い物をしました。スーパーで諸々と八百屋で人参と新玉ねぎを購入。八百屋のおじさんは現状唯一の対面で会話できる人なので、半分それ目当てで行ってます。案外楽しい。

 

 家帰ってきていい時間になったら夕飯です。今日はカレーを作りました。特別なことはしないです。強いて言えば最後にバター一片いれるくらいでしょうか。これ入れるだけでなんかめっちゃ雑にコク出ます。

 おいしかったです。あいにく私の舌はバカなので食レポはできませんがいつもに比べてちょっとだけおいしかった気がしました。あと八百屋さんに教えてもらったドレッシングで玉ねぎのサラダ食いました。こっちはバカうまかったです。というか素材が良かった。

 

 

 今日振り返ったところで起きたことはこれだけなんですけど、ちょっと歩いただけでクタクタです。順調に不健康になっているのでなんとかしたいですね。

 

 

 

そんなわけで、今日の出来事でした。