暇鳥風月

暇鳥風月

ざれごとからたわごとまで

2019年10月19日

誰にも言ってなかったのですが、今月はブログ強化月間として頑張りたいと思います。そら誰にも言ってないのは当然ですね、誰も見てないんだもん

ウソです。なんか前回記事見返したらアレが最新記事という事実に震えたのでいそいそと書いています。(もう消しましたが、ただただ死にたいという願望を綴った詩を載っけるという狂行に及んでいました)なにがダメってあれは狙って作った狂気ではなく、純粋に私の頭に浮かんだことと普段抱えていいる感情と思想が如実に映し出されてる…ってな具合に、いたってまじめに書かれた文章だという点ですね。まあ一応根底に潜むテーマ的なのはあるので皆さん各々に汲み取ってもらいたいんですけれども

 

 

というわけで日記です。正確には日記ではなくここ最近で思ったことというか、比較的季節感のあるようなことを言いたいなと思っています。

 

皆さん今の時期は好きですか?私は大好きです。特に外の空気感が好き。ちょっとポケットに手を突っ込みたくなるような引き締まった感じでそれでいて街角の金木犀がかぐわしいあの空気、金木犀が咲くのなんてたかが10日程度ですけどそこもいいですよね

 

私は季節でいうと、冬≧秋≧春>>>>>>>>>>夏の順に好きです。なんでかっていうと、冬や秋や春は寝るのに気持ちがいいからです。お前ずっと寝てんのなって感じですけど、ぶっちゃけ夏が嫌いな理由なんて湿度が高くて前髪ぐにゃっぐにゃになるからってのと実家の寝室にエアコンがなくて比喩とかなしに死にそうになるぐらいからっていうのくらいなんですよね、睡眠が捗らない季節というのはそれすなわち悪い季節なのであります

 

ここから本題

 

とにかくそんな寝るのが好きな私だが、最近睡眠に関して悩みを抱えている。

それがこちら

もとから夢を見る方ではあるのだが、ここ最近の私の夢はもう現実なのか夢なのかわからなくなるような夢なのだ。

だから朝起きると脳がメチャクチャ疲れてる。一切冴えない頭。ふざけてんのかってくらい気力が湧かないのだ。こういう夢を見たときは決まって頭の回転がフリーWi-Fiとか3Gとか、とにかくその次元まで低下する、たまったもんじゃない

三日前に「(あっ俺今ヤバい状態かも)」って思わせられる出来事があった。大学の英語の時間にディスカッションみたいなことを行ったときのこと、議題が〈アルバイト〉になった時に、私は「私は今飲食とカラオケのホールスタッフの掛け持ちをしています」と言いそうになったのだ。確かに飲食のバイトはしているがカラオケというのは一切してないし考えたこともないのだ、現実世界では。

 

そのディスカッションでは言おうとした瞬間に「(…え???カラオケなんて俺してねえぞ…?)」ってなってその時は言わずに済んだが、思いのほか夢の記憶が普通の生活のセーブデータに干渉してきてびっくりしてしまった。もし私が思ったことを即座に言えるような英語ペラペラ人間だったらそのディスカッションでは私はバイト掛け持ち人間になっていたのかもしれない。わわ笑っちゃうね

 

リアルな夢というのは比較的よく見るのでそれ自体は別段不思議なことではない。それよりは日常に夢が侵食し始めるとでも言えばいいのだろうか、この現象は今までに出会ったことのないタイプの怖さというか、不気味さを覚える。

 

 

一つ言えるのは、私はきっと疲れてるんだ、そうに違いない。このふざけた悪夢も、頭のどこかしらにバグが起きて認知機能が低下しているからなのはだれが見ても明らかでしょう

 

 

さて、疲れを取るには風呂に入って寝るのが一番だ、それも違いない。というわけでさっさとこの記事を公開して風呂入って寝ようと思う。ただしこうやってキーボードを打っているこの瞬間が夢じゃなければの話にはなるのだが

便所の落書き①

ご無沙汰してます、ぬぅと申します

新しい記事を公開するのもめちゃくちゃ久しぶりな気がしますが、過去記事を見返してみると奇跡的に月一更新を保っていますね。偉いぞ私

 

といっても実際には、結構な数の記事を書いては下書き送りになり、また書いては下書きに送り、ふと書き溜めを見直してみるとあまりの拙さに驚いて一斉に消去する…という水面下で果てしなく不毛なことをやっていたので、私自身は久しぶりという感覚はないです

 

ブログを続けるコツって、しょーもないことを公開する勇気と勢いなんですよね。ここに最近気が付きました。私はTwitterなんかだと涎垂らしながらアホみたいなことをつぶやくだけで、そこに一切の躊躇も羞恥心もないのですが、ブログとなるとなぜか受け手を意識しちゃって、へんてこなことを書いていないかどうかを確かめるために、すぐに公開はせず、日を置いて見直す癖があるんですよね。これをやると確かに文章のミスは減るんですけど、内容そのものに「(…あれ?これクソつまらんくね…?)」って気づいちゃいけないところに目が行くんです。それで記事を消しちゃう。んで数日後に、何で消したんだよおおって後悔するんですよ。馬鹿か

 

 

 

そんなんで一句整いました

 

しない後悔よりする公開

 

まさかの自由律、でも私は気にしません。今回はこの「空疎さそのもの」がコンセプトですから

 

 

というわけで、適当なこと書きます。クオリティはご愛敬

 

本題

 

インスタを始めました。よかったらフォローしてね

あんなに”インスタをやるやつは陽キャだ”とか宣っていた割にはそこそこの頻度で浮上しやがります。しかしご覧になればわかる通り、映えておりません。映えのアンチテーゼかというくらい映えておりません。何もかもがインスタに場違いであるうえに、なんか偉そうな投稿が多い。なんなんだこいつは。まぁ是非フォローでもしてやって嘲笑してやってください。

 

 https://www.instagram.com/champon713/?hl=ja

 

知り合いのブログがホラー

※注意:この記事は特定の個人について言及しています。建設的な発言をするべく過激な表現は極力排除したつもりではありますが、不快な思いをされる方もいると思いますのでブラウザバックをお勧めします。また、あくまで個人の雑感であり、当人への侮辱の意思はございません。

 

 

https://ari-san56.hatenablog.com/

まぁ話の前に知人の書いたこのブログを読んでいただきたい。(閉鎖してましたorz)

先日、彼のブログを初めて読んだとき、それまで彼に対していい印象を持っていいたためか、「この人ってこんな人間だったっけ」とかなりガッカリした。

 

言葉を選ばずに申し上げると、Twitterによくいるタイプの経営コンサルが書いてそうなクソ記事の数々で成り立っているあのブログに対して違和感を持ったのは私だけではなかったようで、見たところ結構反発があるらしい。流石に某ブログよろしく一つ一つ丁寧に反応する気もないが、少しばかり言いたいこともあるので言おうと思う。

 

 

私が彼のブログについて思うことはいくつかある。

第一に、彼のブログ全体に言えることは日本語が変という点だ。確かに、彼のように外国語をメインに使う生活を送っているのであれば、多少の日本語の語句や文法のミス(的を射るを的を得ると表記したり)が起きたところでおかしくはないのかもしれない。それならまだ説明のつく範疇なのだが、彼の場合は少し違っていて、文章の筋道が通っていないのだ。純粋に何が言いたいのかがわからない。こういう責め方はよくないことは重々承知しているが、「いわゆる〈良い〉大学に通って、知性を備え持っている人間」の文章には到底見えない。実に稚拙である。何が言いたいのか読めども読めども一向に見えてこず、それでも読み進めていくとある時突然謎の空白がやってきて記事が終わる。そんな記事が往々にしてあるのが彼の文章形式だ。

ただし言いたいことが普通に伝わってくる記事ももちろんある。だからあのブログで持った印象というものは私の読解力不足によるものなのかもしれない。だが、少なくとも私はそういう感想を持った。

 

次に、これは私の感想で別に批判でもなんでもないのだが、ブログのスタイルがいささか気に食わない。なぜすぐに改行してしまうのか、なぜ一行空けるのか、なぜ最後の空白を作り出すのか…と、読んでいてもその内容と相まって「なぜ」が尽きないのだ。内容が比較的まともであっても、スカスカな印象を受けてしまうので少々もったいないなと思う。

 

 

 

一応言っておくが、ブログは基本的に何を書いても構わないし、ネットにおいて、別段彼のブログが法に触れるわけではない。しかしながら、彼のブログはあまりにも多くの人間の琴線をグイングイン揺らし、地雷を踏み抜きまくっているのだ。「今後の人間関係に支障をきたすのではないか」という余計な危惧をしてしまうほど目も当てられないブログなのだ。

あと、私にも好き勝手にブログを書く権利があると思っているので、私が彼のブログについて、こうして自分のブログで苦言を呈するのも問題ないと考えてる。苦言呈したところで何も起きないけど。

 

また、彼の形式は若干炎上商法のそれにも近いのではないかという気もしている。本人は全く意図していないだろうが、特定の人に対しての地雷を設置し、それに見事にひっかかることによって、良し悪し関係なくそこそこ大きな影響が得られるというこの構図はどこかそういったものを連想させる。

もしそういった意図が本人にないのであれば、もう少し言葉を選ぶべきだし、文章もよーく練り直すべきだ。あと、何かとリンクを貼って商品誘導するのはやめた方がいい。そんなこと繰り返したら間違いなくアフィ認定されてしまうからだ。ただし、アフィ目当てでブログやっているのであれば、それこそブログの内容を実のあるものにするべきだし、ましてや叩かれていちいち反応するのもやめた方がいい。それだけアフィリエイトというのは嫌われやすいのだ。

 

繰り返すが、もちろんすべての記事がクソ記事ではない。まだ言いたいことの伝わるのもある。

 

そして彼の記事の中にはややアカデミックな内容の記事が見受けられる。とはいえ私はアカデミックな話を題材にするのは別に悪いことだとは思っていない。むしろはてなブログというサービスには、お堅い内容や専門的なことについて述べるブログは存外多い。つまり、少々かっこつけたことを書いたところではてなブログにおいてはそこまでおかしな記事にはならないのだ。

ところが現在の彼の意識高い感じの記事では、大半が自己陶酔で完結している。だから話の筋道が通らない。これは経験則になるが、先述したお堅い感じのブログの多くには共通して、・自慢は控える・謙虚で客観的な姿勢をとる・間違った情報は流さない・最低限の論理は通す…などといった基本的な前提が存在している風に思う。ところが彼の文章にはそれらの多くが欠落している。それゆえ私には「俺ってすげえんだぜ」ってことしか伝わってこなかった。

それでもまだ「俺TUEEE」的なタイトルならわかる。しかし、残念なことに全く関係ないタイトルであるものが多いもんだから非常に性質が悪い。申し訳ないがあんな怪奇文書読んだら反感が生まれるのも無理はないと思う。彼は自分のことをブログ初心者と言っているが、あの奇妙な文章はブログ初心者どうこうの問題ではないだろう。私とて文才は持ち合わせていないが、文章としての体裁が保てていないのはいかがなものかと思う。

 

彼とは遠い昔に疎遠になってしまった。そんな仲だからこそ言えるのだが、今回の件で、彼にはすっかり幻滅してしまった。そして本当に自己顕示欲は恐ろしいものだなと再認識できた。一体何が彼をああしてしまったのか、誰か止める友達いなかったのかよ

さて、言いたいことはだいたい言い終えたので今回はここまでにする。流石にこういう批判は今後はしないと思う、というのも、この記事を書いていてわかったのだが、嫌いなものについていちいち記事を読んだり、批判をするという行為は思ったよりも疲れる。もうほんとに。金輪際したくないと心から思った。次から普通の内容に戻ります。

それではまた。

ローカルショック

えー、わたくし出身地がチーバくんの下腹部あたりということで、素晴らしいほどに何もありません。

 

といっても見渡す限りの田んぼ・・・なんていうタイプのドのつく田舎でもないのですが、工場と畑と、あとは東京でもドイツでも村でもない自己欺瞞ランドしかありません。そんな徹底的に娯楽の排除された私の出身地ですが

いわゆるド田舎という劣等感はありません。県内三位という妙に豊かな財政がここの住人の精神的拠り所となっています。都会か田舎かと問われれば寸分の狂いなく田舎です。ただし、この街自体に何かあるワケではないけれども、ちょっと行けば基本なんでも手に入るというポジ要素があります。住人は、財政と立地という本人の努力と全く関係ないところでポジっています。それでいいのか。

 

そんな控えめな選民思想をもった私はこの前ショッキングな出来事に出くわしました。それは千葉県民の子と鳥取県民の子と昼ごはんを食べていた時でした。鳥取県民の子から「『あくあらいん』って何?」という衝撃の言葉が飛び出てきたのです。

 

 私は当然困りました。

 

義務教育を終えた人間でアクアラインを知らない人がいるのかと不思議で仕方がありませんでした。てっきり私はアクアラインは全国区だと思い込んでいたのです。

 

 

我々のような千葉県南に住む人々は、アクアラインは革命でしかありません。横浜に1時間足らずでワープできる最強兵器であり、これにより立地において革命が起き、(相対的に)都会っ子の千葉市民を都会への時間距離で凌駕します。我々にとってアクアライン知名度英仏海峡トンネルと同格であり、青函トンネルよりも上位なのです。20世紀最大の発明を知らないなんて、私はその子の基本的人権を剥奪したくなるのを抑えるのに精一杯でした。そのくらいショッキングでした。

 

 

そんな私ですから、このボロッボロにくずれかかった精神状態をなんとかするべく助け舟を求めました。一緒に食事をしていた千葉県民に「でもまぁそこそこ有名だよね?」と残ったかすかな自尊心を絞り出して問いました。

 

「いやごめんおれ使ったことないんだよね…」

 

は?ほぇ?使ったことないの?あくあらいんを?

 

私はすぐに思い出しました、彼の最寄りは海浜幕張だったことを。私は思わず唇を噛み締めました。海浜幕張?はぁ?もう都民じゃん?どの面下げて千葉県民名乗ってんだてめえ

 

 

まぁその後なんやかんやあって話も弾んでですね、そろそろ昼飯を終わりにしようかという折、鳥取県民の彼がこう言いました。

 

 

 

 

「でもさー、結局ちばの人しか使わんけんさー、それってさー、いる?」

 

 

 

やめろ、それ以上的確なパンチをいれないでくれ。そんな天真爛漫な笑顔で畜生みたいな発言をしないで、私ショックで死んじゃうよ。要るんだよ、もうアクアラインないと何もできないの我々、そりゃ確かに向こう(東京横浜etc...)の人は使わないよ。でもさ、そんな無慈悲なこと言う必要ないじゃん。なんだ?それじゃ金谷からフェリー使えってか?んな殺生なこと言わないでくださいよぉ。

 

 

最後に繰り出された強烈なボディブローがモロに決まり、私の地元のアイデンティティが消え去ったところで、満身創痍で食堂をあとにしましたとさ。はいはいめでたしめでたし。

 

 

追記)この出来事があったのが一ヶ月ほど前だったんですが、今日名古屋民の友達にも訊いたらやっぱり知りませんでした。きっと他県ではメディアによるアクアライン報道規制があるのでしょう、だからこの素晴らしき文明の利器であるアクアラインを知らないのだと思いました。嗚呼可哀想に。

意識高い系(笑)

 

私は現在アパートの一人住まいだが、親の仕送りだけで特にバイトもせずの穀潰しなので、(金のかかる)娯楽という娯楽を忌避する生活を送っている。

 

「遊びの金は自分で稼げ」と親からのお達しが届いているわけだし浪費するような真似は許されない。かといってバイトして自分で稼いだ金で遊ぶほどの活力がないのが私という人間である。バイトなんて大学生みたいなことしてたら要領の悪い私は1日が何時間あっても足りなくなってしまう。そんなわけで私の生活はそれなりに慎ましい。余計なものもほとんど買ってないし大学の交流会という名の飲みイベントを崇高な守銭奴スピリットで多数拒否してきた。あと飲みたくないもん。

 

そんな中、親から唯一クレジットカードでの購入が許されているのが本なのだ。

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これは教科書以外に買った本たち。中には割と馬鹿にならないお値段の本もあるが躊躇なく買えてしまう、げに恐ろしやクレジットカード。

大学生協もなかなかに沼である。あれだけ農学の本を並べられたらそら買ってしまうわ。この前なんか昼飯買うために生協はいったのに気づいたらお茶と本抱えてたからね。飯はどこに行ったんだよ。

もちろん買ってばかりでは収拾がつかないので本のほとんどは借りている。どうしても読みたくなった本や新書とかは買っているけど。まあレポートなんかに使うだけならやっぱ買えないしさすがに邪魔になるよね、本当は買ってじっくり読みたいんだけどさ。

 

 

ただ、実際には写真の半分も読破できていない。嗚呼早く読みたい。休日がほしい。もしくはテスト滅べ。

 

まぁ今回言いたかったのはそれだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蛇足

 

なんか知らぬ間に友達は漸減しているが、マイペースに勉学に励もうと思う。実をいうと、というか写真の本のジャンルのバラけ具合を見れば明らかなのだけれど、私は大学でやりたいこと(専攻)がイマイチ定まっていないのだ。

私は生態学保全生物学がやりたくてこの学科に入ってきたのだが、林業の世界にも興味があって、それが再び熱を帯びてきていたり、人文社会系のアプローチも気になっている。守備範囲の広さは学科の持つ魅力のひとつなのだが、現在の私はその広さに戸惑ってどこに行けばいいのかわからなくなっている。だからこそ時間のまだある今のうちに知見を蓄えて、学びたいことをどっぷり学べるようになりたいなぁと思う。

 

 

 

 

 

6月の終わり、父方の祖父母の家に行った。祖父の見舞いのためである。

4月頃に体調を崩し、経過観察のため入院していた祖父は、5月には退院、自宅療養していた。

ところが6月下旬に容態が急に悪化し、年も年なため、私は親に命じられ急遽地元に戻ったのだ。

 

 

 

祖父母の家に着き、祖父のいる部屋に向かった。祖父は介護ベッドの上で横たわっており、いわゆる寝たきり状態だった。

 僕は祖父に、目線を合わせて「こんにちは」とかなり大きめの挨拶をした。すると、祖父はこちらの声に気づいたようで、声のする僕の方を向いてくれた。

 

祖父の目は、濁りの一つもない、快晴の日の空のように澄んだ瞳をしていた。今まで見たことのないような綺麗な瞳だ。

 

 

 

 

 ただ、瞳孔は上下左右に忙しく動き続けており、決して僕を捉えることはない様子で、見るからに普通ではなかった。

 

 

 

 ちょっと前までの元気そうな姿を知っていた僕にとって、それは結構ショッキングな光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直に言う。僕はその祖父の顔を見て、「怖い」と思ってしまった。

おそらく、祖父に迫っている「死」という存在を感じ取ったがための悲しみと同居した恐怖もあると思う。

しかし、あの時に感じ取った怖さは、どちらかというと悲しさなんて入り交じらない純粋な恐怖心、ある種の気味の悪さに近かった。

 

 

 

 

目の前で寝ているのは祖父なのだ。それは頭で理解している。痴呆が進んでいることも親から知らされていた。が、それを勘案しても祖父の面影は全く感じられなかった、悲しいほどに。この老人があの祖父であることに納得ができない、それどころか別の生き物のようにも思えた。そんな感覚だった。そして、その感覚がどうしようもなく怖かった。

 

 

 

目一つでここまで感情が動かされるということは、やはり、“目”の持つ意義は機能的側面からだけでは決して語ることはできないほど潜在的で、そして大きいのだと思う。

 

 

妖怪などの人外というのは非生物に目と口を与えられたものが多い。それだけ“目”というものが潜在的に『生』を象徴してるからなんだろう。目が生命を吹き込むと言えば良いのだろうか、要するに、目は生命体を生命体たらしめる重要な要素なんだと思う。

 

また、化け物には目が2つじゃない類いのものも多い。モンスターズインクでは、一つ目のモンスターや目がたくさんあるモンスターが多くいる。これはきっと、生命体の象徴である目のルールを少し外すことで歪で異様な雰囲気を出しているのだろう。

 

 

 

 

 

繰り返すが、目は重大なはたらきを持つ器官だと思う。そして、それと同様に“見る”という行為にもとても大きなはたらきがあると思う。

 

なぜなら、祖父は目が一つしかなかった、なんてことではないし、僕が怖いと思ったのはそこではない。普通はしないような目の挙動を見たときだからだ。

 

 

僕は祖父の定まる気配のない目線を「(こわい)」と思った。祖父はもう遠くに行ってしまったと思うくらいの衝撃だった。僕は得てして言葉を盛って大袈裟に話すきらいがあるが、本当にそう感じてしまったのだ。

 

 

 

 

 「俺の目の黒いうちは」なんて言葉があるが、今になってその重みを犇々と感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう書くこともないというか、収拾がつかないので終わりにするが、祖父母の家を去る際、少し調子が回復した祖父は僕のことをまっすぐ見てくれた。僕のことを見てくれたのだ。ベットで横たわって、確実に僕を見つめて、手を振る仕草をしようとしてくれたその老人は、紛れもなく僕の大好きなじいじだった。多分次合うときはもう反応してもらえるかわからない、無理かもしれない。それでもとにかく最後の最後にじいじに会えた。会うことができた。それがとても良かった。

語彙力を駆使して好きなアーティスト紹介

the pillows

だいすき

 

 

 

 

andymori(現AL)

やばすぎ

 

 

 

 

 

 

くるり

変態

 

 

 

 

 

・THE PINBALLS

すげえかっこいい

 

 

 

 

 

 

Galileo Galirei

さわやか

 

 

 

 

 

 

 

フジファブリック

すごい

 

 

 

 

 

 

チャットモンチー

かっこかわいい

 

 

 

 

 

 

フーバーオーバー

いい

 

 

 

 

 

 

 

 

GO!GO!7188!

すき

 

 

 

 

 

 

 

 

GOING STEADY(現銀杏BOYZ

きたない

 

 

 

 

 

 

 

おわり